2003年4月、14年前のこと。ある朝突然レイオフ(一時解雇)された。
アメリカで現地企業にお勤めしていたら誰でも避けては通れないことだとは聞いていたけれど、まさかそれが自分の身にふりかかるとは。
「皆さん、今日でジャパン・ディビジョンは閉鎖します。私物だけ持って今すぐお帰り下さい。」あっさりしたものだった。
日本へ帰って叔父の法律事務所に入れ(!)という話が来ていた頃だったが、それには夫を説得しなければなどと、いろんなことが頭の中をどうどうめぐっていた。
ところが同じ週に、今度は親しくしていた友人(と言っても当時80歳のご老人)がストロークで倒れ、ER(救急病院)に担ぎ込まれた。アメリカの医療費はバカ高いので、状態が落ち着くとすぐ追い出される。友人も例外ではなく、2日後には退院させられた。
帰宅した友人は左半身不随となった。リハビリは週5日ミッチリ予定が入ってた。というより、1人暮らしだからできるだけ早く復帰したかったのでしょう。彼は日本食レストランを経営していましたから。だけどリハビリセンターまで通うにも本人は運転できないので、私か夫が運転手をかって出ることになり、私自身の職探しどころではなくなった。
ある日のリハビリの帰り、車の中でこの友人がポツリとこぼした。気が弱くなってたんでしょうね。
「まぁこさん、僕はね。日本で10年くらい会社勤めしていたことがあったんだけど、もちろん、ずっと若い頃の話だけどね~ あのお給料から天引きされていた健康保険料とか年金の保険料はいったいどこへ消えたんだろうね? 今ごろになって思うんだけど、僕はその~日本の年金ってもらえないのかな?」
「私のもろもろの社会保険料は、あの給与からの天引きされてた部分、どうなったんだろう?」
自身が渡米した際、年金手帳や資格期間の明細書、印鑑などは持ってはきていた。
自分が日本の老齢厚生年金や基礎年金を受けられることは知っていたのだけれども。はて、この友人は?
司法試験が終わったとたん、社会保険六法なんてものはキレーさっぱり忘れていたので、突然質問されても即答できるはずがなく、「ちょっと調べさせて」と自宅に持ち帰ることに。
やおら昔の資料をひっぱり出して、インターネットでこの友人の受給資格について調べてみた。
男性は当時80歳、渡米して既に50数年が経過していた。アメリカで日本食レストランを始めてからも40年以上がたっていた。そもそも、彼は年金手帳どころか、お勤めしていた当時の、日本の会社の所在地すらよくは覚えていない状況だったのだ。
中間の話はすっとばして(後日書きますが)、この男性は80歳にして過去の20年分の年金を一度に受けとることができた。その額 $44,000 (約450万円)也。