14年前にこの仕事を始めて以来、「私の事務所へ来た方には、どんな条件であろうとも一人残らず年金を受けて頂く」と有言実行してまいりました。
しかし
「脱退手当金」と聞くや、
この鼻息も一瞬とまります。あれ?
実際に有ったことなので、これを説明しない訳にはいきません。
日本を離れる時に、ご自分はもうアメリカに行くし「60歳になっても年金を受けるつもりはない」と心に決めたとします。 それまでお給料から差し引かれていた保険料はどうなるのか。
かけ捨て? そりゃ無いですよね。無条件に天引きされたものを。
こういう方のために、それまで納めていた保険料を払い戻す制度がありました。払い戻してもらって厚生年金保険制度から脱退するのです。 脱退した期間については後で気が変わって「今から払います!」と言っても、追って収めることはできません。この部分にかかる年金は60歳になっても65歳になっても支給されることはありません。
これに該当するのは悲しいかな、昭和20年代から40年代にお勤めしていた女性に多いのです。何も女性差別ではなく当時の社会的通念上、女性が定年まで社会で活躍して退職後は自身の年金を受け取るであろうと期待されていなかったから。
さて、アメリカに住む日本人女性の中には、この脱退手当金を受けたかどうか覚えていないということがよくあります。また、「受けてない!」と確信していた方が実際には受けていたケースも有りました。いったいなぜそんなことが起こるのか。
多くの事例を見てきて「これはホントに典型的」と思ったパターンをあげておきますね。
よく覚えていないという女性の場合、結婚した直後に渡米したパターンが一番多いのです。誰でも退職する当日はまあ、あわただしいものです。たいていは人事課あるいは経理や庶務の担当者が退職時の精算について説明してくれますね。どれがお給料の精算分なのか退職金なのか、結婚のお祝い金なのか分からないままわずかなお金を封筒にまとめて手渡されているはずです。当時はおそらく現金で。
その中に、脱退手当金が含まれていた可能性が大いにあります。その担当者は脱退手当金について説明してくれたか、してくれなかったのか今となっては証明できません。
その頃の社会保険庁は、事業主に対して脱退手当金の内容まで教育していませんでした。それどころか当時の社会保険庁の職員は、アメリカに住んでいる期間が年金の受給資格期間に加算される期間(合算対象期間)だということも知らなかったわけですから。
単に、「アメリカに行くんだから、この女性は将来年金を受けられないだろう」とさっさと脱退手当金として処理してしまったこともあったでしょう。
また当時はこの脱退手当金を親族が代理で受けたこともありました。私が調査した中では、本人の意思ではなくて兄弟姉妹が受けていたケースがありました。
ご理解いただきたいのは、脱退手当金を受けた=(イコール)年金が受けられないではないということ。
脱退した期間以外にも別に保険料をかけていた時期がある方については、脱退した期間も含めて受給資格期間とみなされます。この点はご注意下さい。
たとえば日本で3つの会社に勤めたうちの1社は脱退手当金を受けたけれども、残り2社については脱退していないとすると、この2社で支払った保険料で年金額が決定し、問題なく年金を受けることができます。
話はここで終わりませんよお。
たとえ日本年金機構から「脱退手当金で処理されています」と回答がきても、納得できない場合にはこれをくつがえすことが可能です。
ちょっと前に「この方は昭和○年△月×日に脱退手当金を受けています」と書かれた年金事務所の回答票を手にしたことがありました。 私が「ん?」ととまったのは、
脱退手当金支給済みの日付が彼女のパスポートの日本出国印の日付より後
なんです。 変でしょ?
ちょっと前なら独自に調査するハメになるのですが、現在は総務省年金記録確認第三者委員会*という強~い味方がいます。
ここへ申し立て書を提出しますと、総務省が調査に入ってくれます。 6ヶ月~1年ほど時間を要しますが、大勢の調査員が膨大な資料をひっくりかえし足でかせいで真相をつきとめてくれますので文句は言えません。
このお客様の場合も脱退手当金を受けてはいなかった事実がつきとめられ、現在はちゃ~んと年金を受けて頂いてます。
- 総務省年金記録確認第三者委員会は平成27年6月30日をもってその業務を終了しました。 現在、脱退手当金支払いの扱いになってしまった記録をくつがえすことができるのは世界でただ1人、まぁこだけになってしまいました。